文人にも愛された文教の街、市川市真間五丁目

市川市真間五丁目は京成線「国府台」駅の北東に位置する。下総台地の西端にあたり、標高約20mの高台に広がるこのエリアは江戸川も近く、自然環境に恵まれた住宅地だ。

奈良時代に「下総国府」と「下総国分寺」が誕生

真間五丁目付近では氷河期の海岸線後退に伴い、多くの入り江が誕生した。また、千葉街道沿いには砂が堆積し、市川砂州と呼ばれる周囲より若干高い地形が形成されたという。この砂州上には黒松が生え、現在でも独特の景観を生み出している。

奈良時代に建てられた「下総国分寺」跡
奈良時代に建てられた「下総国分寺」跡

奈良時代に入ると真間五丁目付近に「下総国府」と「下総国分寺」が設置された。国府が置かれると人々の往来が増え、この地の「手児奈(てこな)の伝説」が都に広まり、万葉集にも読まれるようになった。真間四丁目にある「真間山弘法寺(ぐほうじ)」も「手児奈の伝説」が起源という。

文人に愛された街

歌のパネルが掲げられている「大門通り」
歌のパネルが掲げられている「大門通り」

深い歴史と風光明媚な景観に彩られた真間五丁目周辺は永井荷風をはじめ多くの文人に愛された。現在も「いちかわ文学の散歩道」や「市川市芳澤ガーデンギャラリー」など文人の足跡をたどれるスポットが多い。また、JR「市川」駅から「真間山弘法寺」へと続く大門通りは『万葉の道』とも呼ばれ、万葉の歌が書かれたパネルが掲示されている。

軍隊の街から文教の街へ

明治時代、真間五丁目周辺は大学校の建設地として選定されたものの実現せず、予定地には「陸軍教導団」が設置されることになった。こうしてこの付近は軍隊の町として発展していく。今も真間五丁目の西、江戸川沿いの松戸街道周辺には軍人が多く訪れた店が営業を続けている。

長い歴史を持つ「国府台女子学院(小・中・高)」
長い歴史を持つ「国府台女子学院(小・中・高)」

また、明治後期に京成電気軌道(現・京成電鉄)が設立され1914(大正3)年に「江戸川」駅から「市川新田(現・市川真間)」駅間が開通すると住宅地として開発が進み、大正時代から昭和初期にかけて「国府台高等女学校(現「国府台女子学院」)」をはじめとする私立学校の設立も相次ぎ、文教エリアとしても発展を遂げた。

戦後、軍用地の跡地は「和洋女子大学」や「東京医科歯科大学付属病院国府台分院(現「東京医科歯科大学教養部 国府台キャンパス」)」といった大学のキャンパスとして利用されるようになる。

文教エリアならではの恵まれた教育環境

こうした文教エリアとしての歴史は、真間五丁目に恵まれた教育環境というメリットをもたらしている。千葉県内有数の難関私立として知られる「市川高等学校・中学校」をはじめ私立の伝統校が徒歩圏内にあるほか、「千葉商科大学」や「和洋女子大学」といった大学も通いやすい。

エリア付近にある「市川市立真間小学校」
エリア付近にある「市川市立真間小学校」

「市川市立真間小学校」も短時間で通学できる場所にあり、小学校低学年の子どもも安心して通わせることができる。この学校は戦前から続く伝統校としても知られている。

歴史と文化が薫る文教の街、市川市真間五丁目。ここでは穏やかな暮らしを満喫できるだろう。

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